2016/7/16 日経新聞を読んでの個人的な感想。
1面 フランス南部ニースでのテロ
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使者84人、重体50人。フランスでまたテロが起きてしまった。
花火見物客へのトラックでの突進、その後は銃撃、どちらも悪辣であり度し難い。
今年三月にあったベルギー連続テロを受けて連携を強化していた状態で起きたこのテロ。
私が何より恐ろしいのは、警戒状態でのフランスでトラックという一般的な道具を使用したテロが行えてしまったことだ。
誰しもが考えつくようなこの方法で、これだけのテロを単独犯が起こした。
この事実が、鳴りを潜めるテロリスト予備軍にどういった影響を与えるか考えたくもない。
これを受けて各国は連携強化、テロ根絶をうたっているが、それだけでは今までを何も変わらない。
フランスでは現政党、オランド政権が非難を受けているようだ。
怒りを一身に受けるべき犯人はもうこの世にはいない。
政権に矛先が向くには仕方ないことだが、内輪のゴタゴタだけは、御免こうむりたい。
オリンピックは一か月後に迫っている。無事に終わることだけを切に願う。
2016/7/12 日経新聞を読んでの個人的な感想。
相変わらずの三日坊主
1面 アベノミクス更なる加速へ
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参院選を受けて、阿部首相は「あらゆる政策を総動員し、デフレからの脱却速度を最大限引き上げなければならない」と語ったそうだ。
最近のニュースはこの手の話でもちきりだが、経済政策など一つ一つの行動に対するデメリットをなぜ自ら語ろうとしないのだろうか、いつも疑問に思う。
対立政党からの指摘で浮き彫りになるデメリットはどうしても極端な意見になりやすく、私は信用に値しないと思っている(もちろん参考にはしている)。10兆円規模の大型政策、この財源を確保する為のしわ寄せはどこに行ったのだろうか。こういったことを一つ一つ説明することが信頼につながってくるだと考えるのだが。。。
実際こんな知ったような口をきいているが、私の情報収集が足りないだけでキチンの述べているのかもしれない。
その確信がないほど、最近こう言った情報収集を怠けてしまっていた。
これはまずい。人のふり見てわがふり直せ、人の信用の心配をする前にやるべきことが今の私にはたくさんあるはずだ。
あんまり気負いせず、一番苦手な「コツコツと」を練習していこう。
2016/6/28 日経新聞を読んでの個人的な感想。
1面 英国の今後の動向
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イギリス国内での混乱が広がっている。
後継選びは始まっているが、政党の対立は根深くまとまりそうもない。
EU離脱派が政党を握るか、元残留派が握るかで今後の動きは大きく変わってしまう。
期限が存在している以上、停滞するわけにもいかない。
多くの外国企業が、イギリス国内にある生産拠点の再検討に追われている。
記事上にあったアンケートでは過半数が半年後には景気が悪化するだろうと予想しているそうだ。
イギリスは今、世界おまきこんだ混乱の渦の中心にいる。
この流れを制御しきる為にも、早く代表を決め方向性を明確にする必要がある。
絶対的主導者によるリーダーシップがあればあるいは…
5面 長期金利の急落
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多くの投資家たちが、リスク回避の為に安全資産とされる日本国籍に集まっている
記事上のグラフをみて、買いが殺到するほど、利率が下がる理屈を理解できなかったので、少し調べてみた。
まず国債には額面金額と表面利率が存在する。
額面金額はその証券自体の値段。表面利率は利息の支払い割合だ。
国債の利率の決定権は発行側が持っており、その利率が買い手の動向によって変動する理由が私にはわからなかった。
その原因となっていたのが、国債流通市場だ。
国債流通市場は、いったん販売された国債を再度取引する為の場所である。
これがあるお蔭で、国債は金融商品として多くの人の手を渡り歩き、その結果利率が変動しているというのだ。
たとえば額面金額100円、表面利率5%の国債があったとする。
この国債によって、もらえる利息は100*0.05の5円だ。
その国債の人気が上がり買いが集中すると、どうにか手に入れようと購入希望者は値段を釣り上げていく。
ある人は100円の国債を120円で手に入れることが出来た。
しかし子息は120円で買ったとしても変わらない。5円のままなのである。
その利息分5円を購入金額である120円を起点に利率計算してみると、
5/120=0.0416,,,,となる。買いが集中したことで結果的に利率が下がっているのだ。
こういった理由により、本来固定されているはずの金利は乱高下している。
はた表面利率にも固定型と変動型もあるのでさらにややこしい。
先ほど計算した利率が、記事上にある金利だったわけだ。
なんとなく理解することが出来たが、そちらかと言えば「金利が変動しているように見える」というのが正しい気がする。
まぁ、表面金利と流通市場の金利どちらを基本として考えるかの問題なので納得するしかないのだろう。
2016/6/27 日経新聞を読んでの個人的な感想。
5面 EU離脱に対しての、国内消費の変化
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英国のEU離脱の影響で、円高株安といった急激なマーケットの変化が起こっている。
海外商品を扱っている百貨店では、裕福層の消費マインドの低下を懸念しているようだ。
しかし円高ともなれば、海外旅行はお得感が増し、行きやすく感じる。
こういった経済の流れには一定の流れが存在する。結果には必ずメリットとデメリットが存在し、その現象単体でみればバランスが取れているはずなのだ。
こういった影響をすぐ察知できるように今後とも知識の取集を続けていきたい。
世間一般にはデメリットしか周知されていない事柄こそが、膨大なメリットを隠し持っている事を忘れてはいけない。
7面 コラム ベネフィット企業
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「社会に恩恵をもたらすことで成長する」、B企業を名乗ればこれを宣言したも同然になるらしい。
理想先行と蔑まされてきた、社会によい影響を与えたいという会社の経営方針。
それが再認識されており、いわゆる古き良き日本の経営にも脚光があびているそうだ。
会社という組織、少なくとも経営者にはこういった夢見がちな事項は必要不可欠だと私は思う。
「古き良き」と上に書いたように、今の日本に本当の意味で社会を見ている企業がどれほどあるのだろうか。
皮肉ではなく実際わからないのである。こういった事はどの会社にも経営方針として確実に存在する。
その経営方針を本当の意味で、会社の総意として実行できている企業を私は見たことが無い。
知りたい、見てみたい。そしていつか自分でそんな企業を立ち上げてみたい。
9面 車の自動運転実験用、保険商品の開発
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とても面白い発想だと思う。実験には危険が伴うのは当たり前であり、指導運転ともなればなおさらだ。
「実験」に対する保険というのが面白い。いままでもこういった形の保険があったのだろうか?
商品化を検討しているということは採算を取れる見通しが少なからずあるのだろう。
自動運転と聞いて毎回思い出すのが、自動運転のジレンマだ。
運転を操作するAIによる自己(過失)をどう処理するのかについての問題だ。
たとえAIが車を操作したとしても、事故はなくならないだろう。人間の運転手が一人でも生きているうちは確実になくならない。
このAIを起こす事故に対する保険もいつかビジネスとして出てくるだろう。
その時、どの立場の会社が(車会社なのかAIの開発会社なのか保険会社なのか)その商品をだし、何を保障してくれるのだろうか、想像するととても楽しい。
2016/6/26 日経新聞を読んでの個人的な感想。
イギリスのEU離脱に関する記事 1面~
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イギリスのEU離脱による、円高に株安。
日本経済も今回の件で発生した大きな余波に影響を受けている。
今後、特に注視していきたいのがEUの動向だ。
抜けても尚、EUに対して大きな影響を持つイギリスに対して友好的な関係を気付いていきたい半面、離脱ドミノを発生させないためにも厳しい対応も求められる。
また外に対する門も維持し今後の発展を見据えながら、日本やアメリカなどの圏外諸国との交渉にも追われる。
これだけ多く重要な問題に囲われてしまったEU。
運営陣の腕の見せ所だろう、今後の一挙同には目が離せない。
年金の今後のありかた 4面
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最近の通常国会で確定拠出年金の加入対象者を拡大する法改正があった。
これにより民間保険会社も新たな商品を売り出し始めた。
先行き不透明な日本経済、その不安を少しでも和らげてくれるのが保険のありがたい所だろう。
しかし公的年金の水準は下がる一方の今、若者はどういった希望を見出して、老後を見据えればいいのだろう。
見ないようにして生きていくのだけは嫌だ、自分として納得できる結論を導き出したい
民泊に関する新法案について 4面
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民泊に対する新法の前倒し提出が検討されている。
日本はこういった新法案の制定や、法改正の遅さに定評がある。と、最近までは思っていた。
しかし、少し前に騒ぎになったドローンや今回の民泊への対応をみるとその考えも正さなくてはと思う。
新法案の提出前倒しがいま議論されているらしい、旅館業界とは別物として扱われる民泊事業。
利害対立は確実におきるだろう。早かろう悪かろうでは話にならない。
このケアには重点的に着手捨て欲しいものだ。
民泊というシステム自体の、既存の物を使うという観点が私は好きだ。
国民性に直接触れる事の出来るこのシステムが末永く発展していくことを切に願う。
著作権等の兼ね合いから、記事の引用等は極力おさえているつもりだ。
もしこれでも問題があるのだとしたら、ご一報いただければ幸いです。
少しでも記事の内容に興味が出たらぜひ手に取ってください。
飲み物2本で、あの知識の塊が買えます
多くの知識を得るために
報という1つの単位を人が得る事には4つの段階が存在すると考える。
まず一つ目に「その情報を知らない事」。
文字どおりその情報の存在すら知らない状態だ。
世の中の殆どの情報がこれにあたる。
その次が「知らないことを知っている状態」
いわゆる「無知の知」である、この状態になれさえすれば今の現代なら、知識を得ることはたやすい。
この段階に至るのが特に難しく、運も関わってくる。
次が「どこに情報があるかを知っている状態」
頭に入ってはいないが、情報の場所を知っている状態。
世の中には膨大な量の知識が存在する。そのすべてを手に入れることを今まで多くの人が望んだが全知を得た者はいない。
専門家であっても、その知識を傍らに本という形でおいているほどだ。
この段階から俗にいう「知っている」といえるだろう。
最後が「頭に入っている状態」
この段階に至ることは難しいことではない。
難しくは無いのだが、なにぶん時間がかかる。
その時間は量に比例し増大していく。それを効率化するための方法は、世の中にごまんとある。しかしどうしても一定以上の時間はかかってしまう。
この段階に持って行ける情報は精査する必要があり、このレベルに達した情報量で人間性は形成され、評価されることが多い
これは私の持論。散歩している時になんとなく思いついた内容だ。
このブログは、多くの「無知の知」を得るための覚書にしようと思っている。
新聞の記事に対する感想が主に、ときおり上記のような思い付きを羅列していく予定である。
ブログは初めてで拙い所が多くなると思います。気になるところがあれば、ご指摘を頂ければ幸いです。