多くの知識を得るために
報という1つの単位を人が得る事には4つの段階が存在すると考える。
まず一つ目に「その情報を知らない事」。
文字どおりその情報の存在すら知らない状態だ。
世の中の殆どの情報がこれにあたる。
その次が「知らないことを知っている状態」
いわゆる「無知の知」である、この状態になれさえすれば今の現代なら、知識を得ることはたやすい。
この段階に至るのが特に難しく、運も関わってくる。
次が「どこに情報があるかを知っている状態」
頭に入ってはいないが、情報の場所を知っている状態。
世の中には膨大な量の知識が存在する。そのすべてを手に入れることを今まで多くの人が望んだが全知を得た者はいない。
専門家であっても、その知識を傍らに本という形でおいているほどだ。
この段階から俗にいう「知っている」といえるだろう。
最後が「頭に入っている状態」
この段階に至ることは難しいことではない。
難しくは無いのだが、なにぶん時間がかかる。
その時間は量に比例し増大していく。それを効率化するための方法は、世の中にごまんとある。しかしどうしても一定以上の時間はかかってしまう。
この段階に持って行ける情報は精査する必要があり、このレベルに達した情報量で人間性は形成され、評価されることが多い
これは私の持論。散歩している時になんとなく思いついた内容だ。
このブログは、多くの「無知の知」を得るための覚書にしようと思っている。
新聞の記事に対する感想が主に、ときおり上記のような思い付きを羅列していく予定である。
ブログは初めてで拙い所が多くなると思います。気になるところがあれば、ご指摘を頂ければ幸いです。